芸能人の葬儀

田中好子(キャンディーズ)さんの葬儀

2018年06月12日 13時58分

田中好子(たなかよしこ)さんは、1970年代に絶大な人気を誇ったアイドルグループ「キャンディーズ」のメンバー。キャンディーズ解散後は女優として数々のドラマや映画に出演しました。
 
「スーちゃん」の愛称で親しまれた田中好子さん。田中さんのほか、伊藤蘭さん、藤村美樹さんという、当時「スクールメイツ」に在籍していた3人が「キャンディーズ」として1972年にデビューしました。デビュー後、しばらくはヒットに恵まれませんでしたが、「年下の男の子」で大ブレーク。それまでは「かわいい系」の田中さんがセンターで歌っていましたが、「お姉さん的」な伊藤さんをセンターに据えたことで大ヒットにつながったと言われています。
 
当時は小中学生の女の子たちが、キャンディーズの歌を振り付け付きで歌っている姿をよく見かけたものです。「お姉さん的」な伊藤さんをメインボーカルに抜擢。この作戦があたった理由が分かりますね。
 
キャンディーズは1977年、「普通の女の子に戻りたい!」と解散を宣言。この言葉は現在でも使われるほどの名言で、当時は流行語ともなりました。実はこの解散宣言、事務所の了承無く、発せられた言葉だったのです。
 
ここからの約半年間が、キャンディーズの人気が最高潮を記録した時期です。
 
田中さんはキャンディーズの解散後、休養期間をはさんで1980年に芸能界復帰。当初は「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に出演していましたが、その後は女優として活動します。
 
1989年公開で、カンヌ国際映画祭にも出品された「黒い雨」では、日本アカデミー賞を含む、多くの映画コンクールで主演女優賞を受賞。演技派女優として確固たる地位を固めます。しかし、1990年代からは、芸能活動を続けながら、病気との闘いが続きます。はじめて乳がんが見つかったのは1992年のことでした。
 
2010年に乳がんが再発。十二指腸潰瘍を患い、絶食治療を行ったところ、免疫力が低下しての再発だったそうです。翌年2月にがんは無慈悲に転移、増殖。2011年4月21日、伊藤蘭さんや藤村美樹さんらに見送られ、息を引き取りました。
 
お通夜は24日に東京都内の斎場で執り行われました。このお通夜が、キャンディーズの3人が解散後、同時に姿を見せた最後の場となってしまいました。熱心なキャンディーズファンは、もう一度、3人が同じステージに立つことを夢見ていただけに、悲しい絵になってしまいました。
 
お通夜は喪主である夫の小達一雄さんの挨拶で始まりました。芸能人のお通夜としては珍しく、ファン参列者も焼香することのできるお通夜でした。
 
自身には子供がいないながらも、なぜか母親役を演じることが多く、「家なき子」「ちゅらさん」など多くのドラマで共演した「子供」の数は男女47人にのぼるそうです。キャンディーズで一番年下だった「スーちゃん」は、「日本のお母さん」と呼ばれるようになりました。
 
よく25日に行われた葬儀・告別式には、国仲涼子さんなど、「スーちゃん」の子供たちも参列しました。
 
国中さんは、
笑顔がとても印象的な方。3月に熱が出て具合が悪いと言っていたのですが、病気のことは4月に入って聞いた。16日にはお見舞いに行って、最後は会話も難しかったのですが、私だとわかってくれました。本当にお世話になって、いろんなものをもらってばかりいた。私はなにもしてあげられなかった
と「母」の死を悼みました。
 
キャンディーズのメンバーも、それぞれ弔辞を読み上げました。
 
藤村美樹さんはその中で、
 
最後まで頑張り通したスーさん。
惜しくも亡くなる当日も本当によく頑張ってくれましたね。
 
ありがとう。
 
私も蘭さんも、もう間に合わないかと思ったけど、3人がそろってからのあの数時間は奇跡でした。
いつもなら絶対に集まることが不可能な親族も、みんなが勢ぞろいし、スーさんを取り囲んでお話をしたり、代わる代わる声を掛けたり、手をさすったりしました。
その、柔らかい手の感触を今でも思い出します。
 
中略
 
本当にキャンディーズは楽しかった。
本当に私たちはスーさんと出会えて幸せでした。
私たちは永遠にキャンディーズだからね。
おそろいのものも大切にするよ。
ありがとう。スーさん。
 
愛してるよ。
 
という言葉で締めました。
 
伊藤蘭さんも、
ミキさんと私にとって、いつまでも特別な存在のスーさん。心から感謝しています。
ありがとうスーさん。
 
ずっとずっと愛しています。
 
という言葉を、これから旅立つ仲間に送りました。